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名古屋地方裁判所 昭和61年(ワ)3296号 判決 1990年4月11日

原告

由良京子

ほか四名

被告

山田晴久

主文

一  被告は、原告らに対し、各金四〇万八八〇五円及び内金三六万八八〇五円に対する昭和六一年一二月六日から、内金四万円に対する本裁判確定の日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、各金三四三万四一五八円及びこれに対する昭和六一年一二月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告らに対し、各金二四万円及びこれに対する本裁判確定の日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 事故発生日時 昭和五九年八月二一日午後一時頃

(二) 場所 名古屋市千種区上野三丁目四番一六号交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 被告車両 普通乗用自動車(名古屋三三に六七三七)

(四) 右運転者 被告

(五) 事故態様 訴外水野きみ子(以下「きみ子」という。)が自転車に乗つて東進中、被告が、被告車両を運転して南進し、きみ子の自転車の後部車輪端尾部に衝突し、その結果、きみ子は、被告車両のボンネツトに衝突した後、路上に転倒した(以下「本件事故」という。)。

2  被告の責任原因

本件事故は、被告の前方注視義務違反により発生したものであり、被告は民法七〇九条の不法行為に基づく損害賠償義務を負う。

3  きみ子の受傷及び死亡並びに入通院状況

(一) きみ子は、本件事故により左記の傷害を受けた。

(1) 顔面打撲挫傷、右肘前腕部打撲挫傷、右膝下腿左足関節部打撲挫傷、右肘・前腕、右膝・左足関節、右下腿諸関節炎及び神経炎

(2) 腰痛、両大腿部痛

(3) 第一一、一二胸椎圧迫骨折、根性胸腰神経痛

(二) きみ子は、昭和六〇年一一月五日肺炎により死亡した。

(三) きみ子は、本件事故による受傷により、左記の通り入通院した。

(1) 江口外科病院

入院 昭和五九年八月二一日から同年九月一七日(二七日間)

通院 昭和五九年九月一八日から同年一一月二七日(七一日間)

内実治療日数五二日間

(2) サン・クリニツク

入院 昭和五九年一一月二八日から昭和六〇年五月一六日(一六九日間)

(3) 若井クリニツク

入院 昭和六〇年五月一六日から同年一〇月二五日(一六二日間)

(4) 愛知県がんセンター

入院 昭和六〇年一〇月二五日から同年一一月五日(一二日間)

4  本件事故ときみ子の死亡の因果関係

きみ子は、大正四年七月一七日生れの女子であるが、本件事故前は株式会社かね久(米穀等販売業。以下「かね久」という。)の取締役として元気に営業等の業務に従事していたものであるが、昭和六〇年九月一六日頃、突然発熱し、同年一一月五日、死亡した。

きみ子の直接の死因は肺炎であるが、前記のとおり、きみ子は従前極めて健康体であつたのであり、肺炎の罹患、それによる死亡は、本件事故による受傷及び長期に亘る闘病生活のため身体が著しく衰弱していた結果発生したものであり、本件事故ときみ子の死亡との間には因果関係があり、その割合は五〇パーセントを下らない。

5  損害

きみ子は、本件事故により次のとおり合計一七一七万〇七九〇円の損害を受けた。

(一) 傷害について

(1) 治療費 一三万九二四〇円

但し、若井クリニツクにおける昭和六〇年九月二九日から同年一〇月二五日までの入院治療費

なお、右以前の入通院治療費は被告から受領済みである。

(2) 付添家政婦代 二三万二四七〇円

但し、若井クリニツクにおける昭和六〇年一〇月一日から同年一〇月二五日までの入院付添分

なお、右以前の付添代金は被告から受領済みである。

(3) 入院雑費 三五万七〇〇〇円

一〇〇〇円×三五七日=三五万七〇〇〇円

(4) 装具代 七万円 但し、被告から受領済み。

(5) 通院交通費 三七九〇円 但し、被告から受領済み。

(6) 休業損害 二八〇万円

昭和五九年八月二一日から昭和六〇年一〇月二五日までの一四か月分

きみ子の本件事故前の収入 一か月二〇万円

(7) 傷害慰謝料 三〇〇万円

(二) 死亡について

(1) 逸失利益 六二八万四一六〇円

所得金額 かね久からの給料月額二〇万円

可働年数 五年

ホフマン係数 四・三六四

生活費控除率 四〇パーセント

(2) 慰謝料 一五〇〇万円

主位的に、きみ子の精神的苦痛を慰謝するものとして予備的に、原告ら固有の慰謝料として原告一名につき三〇〇万円

(3) 右(1)及び(2)の合計二一二八万四一六〇円の五〇パーセントである一〇六四万二〇八〇円が本件事故による損害である。

6  相続

原告らは、いずれもきみ子の子であり、他に相続人はいない。

7  弁護士費用 一二〇万円

各原告につき二四万円

8  よつて、原告らは、被告に対し、本件事故による損害金として各三六七万四一五八円及び内金三四三万四一五八円に対する訴状送達の日の翌日である昭和六一年一二月六日から、内金二四万円に対する本裁判確定の日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の各事実は認める。

2(一)  同3(一)の事実のうち、きみ子が本件事故により顔面打撲挫傷、右肘前腕部打撲挫傷、右膝下腿左足関節部打撲挫傷の傷害を受けたことは認め、第一一、一二胸椎圧迫骨折の傷害を受けたことは否認し、その余は知らない。

(二)  同3(二)の事実のうち、きみ子が昭和六〇年一一月五日死亡したことは認め、その死因は知らない。

(三)  同3(三)の事実のうち、きみ子が原告ら主張のとおり入通院したことは認め、サン・クリニツク、若井クリニツク及び愛知県がんセンターにおける入院が本件事故によるものであることは否認する。

3  同4の事実のうち、きみ子が大正四年七月一七日生れの女子であること及び昭和六〇年一一月五日死亡したことは認め、本件事故ときみ子の死亡との間に因果関係があることは否認し、その余は知らない。

4  同5のうち、(一)(4)及び(5)は認め、その余は争う。

5  同6の事実は認める。

6  同7は争う。

三  抗弁

1  過失相殺

(一) 本件事故現場は、南北に走る二車線の中央線の設けられている優先道路と東西に走る一車線の道路とが交差する交差点内である。

(二) きみ子には、東西道路の西方より本件交差点に進入するに際し、本件交差点手前に一時停止標識があり、優先道路である南北道路を通行する車両の進路を妨害しないようにして進行すべき注意義務があつたところ、左方から進行してくる車両の有無、安全確認を怠り、本件交差点に進入した過失があり、過失相殺をなすべきである

2  弁済

被告は、本件事故による損害について、原告らに対し、治療費、付添看護費、装具費及び通院費として合計四五一万八七七六円支払つた。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認する。

2  同2の事実は認める。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これらを引用する。

理由

一  請求原因1(交通事故の発生)及び2(被告の責任原因)の各事実は当事者間に争いがないから、被告は、民法七〇九条に基づき本件事故により生じた損害を賠償する責任がある。

二  きみ子の受傷及び治療経過

1  きみ子が本件事故により顔面打撲傷、右肘前腕部打撲挫傷、右膝下腿左足関節部打撲挫傷の傷害を受けたこと、同女が江口外科病院において昭和五九年八月二一日から同年九月一七日まで(二七日間)入院し、次いで昭和五九年九月一八日から同年一一月二七日まで(七一日間。実治療日数五二日間)通院して治療を受けたこと、その後、昭和五九年一一月二八日から昭和六〇年五月一六日まで(一六九日間)サン・クリニツクにおいて、昭和六〇年五月一六日から同年一〇月二五日まで(一六二日間)若井クリニツクにおいて、昭和六〇年一〇月二五日から同年一一月五日まで(一二日間)愛知県がんセンターにおいて、それぞれ入院治療を受けたこと、同女が昭和六〇年一一月五日死亡したことは、当事者間に争いがない。

2  右当事者間に争いのない事実、原本の存在及び成立に争いのない乙第二号証の一ないし六、乙第七号証、成立に争いのない乙第四ないし第六号証、証人細滝徹の証言により真正に作成されたものと認められる乙第九号証、証人鈴木克昌の証言並びに鑑定人鈴木克昌の鑑定の結果を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  きみ子は、昭和五九年八月二一日、本件事故直後、救急車により江口外科病院に搬入され、同病院において、顔面打撲挫傷、右肘前腕部打撲挫傷、右膝下腿左足関節部打撲挫傷との診断を受け、同日より同年九月一七日まで(二七日間)入院した。

きみ子は、右入院治療期間中、当初約一週間はベツド上に安静の状態であつたが、同年八月三〇日頃からは背部痛の訴えはあつたもののベツド上に半坐位可能の状態となり、同年九月五日からは歩行練習を開始し、順調に歩行機能の回復が見られたため、同年九月一七日、同病院を退院した。

その後、きみ子は、昭和五九年九月一八日から同年一一月二七日まで(七一日間。実治療日数五二日間)、独歩により同病院に通院し、薬物投与、理学療法等の治療を受けた。

(二)  きみ子は、江口外科病院における治療により外傷は快方に向かつたものの、腰痛が継続していたため、風呂・針治療を受けるため、昭和五九年一一月二八日から昭和六〇年五月一六日まで(一六九日間)サン・クリニツクに入院した。

きみ子は、同病院において、昭和五九年一一月二八日、胸部レントゲン撮影検査を受けたが、右胸部レントゲン写真には、左第六、七、八、九肋骨骨折の所見が認められる。また、同日撮影されたきみ子の胸部側面レントゲン写真には、第五、六胸椎の癒合(数年以上前から存在したものと考えられるもの。)と第一一、一二胸椎の圧迫骨折(既に治癒機転の石灰化像)の所見が認められる。しかし、いずれについても、同病院においては、傷病名としての指摘はなされなかつた。

ところで、きみ子は、同病院において、風呂・針治療を受けていたが、腰痛は軽快せず、むしろ昭和五九年一二月頃からは症状の悪化が見られ、昭和六〇年二月一九日頃からは背・腰痛に加え左下肢に強い放散痛を訴えるようになり、歩行・寝返りが困難な状態になつた。

(三)  そこで、きみ子は、昭和六〇年五月一六日、若井クリニツクに転医し、胸椎レントゲン撮影検査の結果、第一一、一二胸椎圧迫骨折及びこれを原因とする根性胸腰神経痛との診断を受け、同日から同年一〇月二五日まで(一六二日間)同病院に入院した。

その間、きみ子は、背部・腰部の神経ブロツク、運動療法、投薬等の治療を受け、骨折部も順調に回復し、同年八月一一日頃からは両杖を利用しての歩行も可能となり、体重も増加し、一〇月には退院できる見込みとなつたが、同年九月一六日、突然、吐気・嘔吐を伴う発熱の症状が現れ、抗生物質の投与が行われたが改善せず、同年九月三〇日の胸部レントゲン撮影検査においては全肺野にびまん性の浸潤像が認められ、同年一〇月二三日の胸部レントゲン撮影検査においては全肺野に末期的びまん性肺炎の像が認められ、健全な肺組織は殆ど見られなくなるに至つた。

(四)  きみ子は、昭和六〇年一〇月二五日、精密検査のため愛知県がんセンターに転医し、同日から入院したが、同年一一月五日、原因不明の肺炎により死亡した。

三  本件事故ときみ子の受傷及び死亡との因果関係

1  きみ子が本件事故により顔面打撲挫傷、右肘前腕部打撲挫傷、右膝下腿左足関節部打撲挫傷の傷害を受けたことは当事者間に争いがない。

2  前掲乙第二号証の一ないし三によれば、きみ子が、本件事故により受けた顔面打撲挫傷、右肘前腕部打撲挫傷、右膝下腿左足関節部打撲挫傷に起因する右肘・前腕、右膝・左足関節、右下腿諸関節炎及び神経炎の傷害を負つたことが認められる。

3  前掲乙第二号証の六によれば、きみ子が第一一、一二胸椎圧迫骨折及びこれに起因する根性胸腰神経痛の傷害を負つたことが認められる。

ところで、第一一、一二胸椎圧迫骨折と本件事故との間に因果関係が存するか否か検討するに、証人鈴木克昌の証言及び鑑定人鈴木克昌の鑑定の結果によれば、第一一、一二胸椎の骨折時期については昭和六〇年五月一六日から五、六か月以上前であつて何年も前ではないこと、昭和五九年一一月二八日撮影の胸部レントゲン写真には、左第六、七、八、九肋骨骨折の所見が認められるが、右骨折も第一一、一二胸椎の骨折とほぼ同時期のものと考えられ、相当な外力を受けなければかかる骨折は生じえないことが認められ、右事実によれば、第一一、一二胸椎圧迫骨折が本件事故により生じたことを推認することができる。

4  本件事故ときみ子の死亡との間の因果関係の有無について

前記二2(四)認定のとおり、きみ子は、昭和六〇年一一月五日、肺炎により死亡した。

ところで、証人鈴木克昌の証言及び鑑定人鈴木克昌の鑑定の結果によれば、第一一、一二胸椎圧迫骨折・左第六、七、八、九肋骨骨折等の運動系の障害と肺炎とは、全く別の疾患であり、きみ子の死亡は本件事故後に生じた疾患(肺炎)によるものであること、きみ子の昭和五九年一一月二八日撮影の胸部レントゲン写真には両下肺野に肺の萎縮気味の像が認められ、きみ子の肺の状態は本件事故以前から健康であつたとはいえず、肺炎等の疾患に罹患しやすく、また、罹患した場合には相当重症になるおそれのある状態にあつたこと、運動系の障害があると痰の喀出や呼吸運動が制限され、肺炎に罹患した場合に不利に働らくこと、しかし、肺炎が軽度のうちに治癒しうるか或いは死亡に至るまでになるかは、ばい菌の性質にも関係することが認められる。

右事実及び右3において認定した事実を総合すれば、本件事故により生じた第一一、一二胸椎圧迫骨折・左第六、七、八、九肋骨骨折等の運動系の障害がもたらす痰の喀出や呼吸運動の制限が本件事故後肺炎に罹患したきみ子に不利に働らいたことを推認することができるものの、運動系の障害と肺炎とは、全く別の疾患であること、きみ子の肺の状態が本件事故以前から肺炎等の疾患に罹患しやすく、また、罹患した場合には相当重症になるおそれのある状態にあつたこと、肺炎が軽度のうちに治癒しうるか或いは死亡に至るまでになるかは、ばい菌の性質にも関係するところ、前記二2(四)認定のとおり、きみ子の場合にはいかなるばい菌の感染による肺炎であつたかについては解明されていないことに照らして考えると、いまだ本件事故ときみ子の死亡との間に相当因果関係があることを認めることはできず、他に右相当因果関係を認めるに足りる証拠はない。

5  以上から、被告は、本件事故によるきみ子の受傷について生じた損害の限度で賠償義務を負う。

四  損害

前記二2(三)認定のとおり、本件事故によるきみ子の骨折等の傷害は、昭和六〇年九月頃には順調な回復をみていたのであるから、遅くとも昭和六〇年九月末日までの入通院治療が本件事故と因果関係にあるというべきである。

1  治療費 二一七万四五一四円

原告水野晴允本人尋問の結果により真正に作成されたものと認められる甲第一号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第三号証の一ないし六並びに弁論の全趣旨によれば、きみ子は、本件事故による受傷のため、入通院治療費として次のとおり合計二一七万四五一四円を要したことを認めることができる。

(一)  江口外科病院分 七三万六七二〇円

(二)  サン・クリニツク分 五五万二五〇〇円

(三)  若井クリニツク分 八八万五二九四円

昭和六〇年五月一六日から同年九月二八日までの分 八七万四九八〇円

昭和六〇年九月二九日から同月三〇日までの分 一万〇三一四円

2  付添看護費 合計二二七万三四二〇円

原本の存在及び成立に争いのない甲第五号証の一ないし六、乙第二号証の一、五及び六並びに弁論の全趣旨によれば、きみ子は、本件事故による入院期間中の昭和五九年八月二一日から同年九月一五日まで及び昭和六〇年二月二〇日から同年九月三〇日までの間、付添看護を必要とし、家政婦に付添看護を依頼して家政婦日当等合計二二七万三四二〇円を支出したことが認められる。

3  入院雑費 二六万七二〇〇円

本件事故により必要であつたきみ子の入院期間は、前記認定のとおり江口外科病院における昭和五九年八月二一日から同年九月一七日までの間、サン・クリニツクにおける昭和五九年一一月二八日から昭和六〇年五月一六日までの間及び若井クリニツクにおける昭和六〇年五月一六日から同年九月三〇日までの間の合計三三四日と認めるべきであるところ、弁論の全趣旨によれば入院雑費として少なくとも一日八〇〇円、合計二六万七二〇〇円と認められる。

4  装具代 七万円

当事者間に争いがない。

5  通院交通費 三七九〇円

当事者間に争いがない。

6  休業損害 二六〇万円

原告水野晴允本人尋問の結果並びにこれにより真正に作成されたものであることが認められる甲第二号証の一及び二によれば、きみ子は、本件事故当時米穀販売業を営むかね久に勤務し、配達及び経理を担当しており、月額二〇万円の収入を得ていたこと、きみ子は、本件事故当日である昭和五九年八月二一日以降死亡に至るまで殆ど休業していたことが認められるが、本件事故と相当因果関係のある休業損害は、事故当日から昭和六〇年九月三〇日までの約一三か月間と認められる。

従つて、きみ子の休業損害は二六〇万円と認められる。

二〇万円×一三か月=二六〇万円

7  慰謝料 二四〇万円

前記認定の本件事故による原告の受傷内容及び程度、治療経過、その他本件に顕れた諸般の事情を考慮すれば、原告が本件事故による受傷のため被つた精神的苦痛に対する慰謝料は二四〇万円が相当である。

8  小括

以上によれば、きみ子が受けた損害は合計九七八万八九二四円となる。

9  過失相殺

成立に争いのない乙第八号証、被告本人尋問の結果によれば、本件事故現場は、南北に走る二車線の中央線の設けられている優先道路(被告車両進行道路)と東西に走る一車線の道路(きみ子進行道路)とが交差する交差点内であること、きみ子には、東西道路の西方より本件交差点に進入するに際し、本件交差点手前に一時停止標識があり、優先道路である南北道路を通行する車両の進路を妨害しないようにして進行すべき注意義務があつたにもかかわらず、左方から進行してくる車両の有無、安全確認を怠り、本件交差点に進入した過失があつたことが認められ、前記認定の被告の過失の態様等諸般の事情を考慮すると、過失相殺としてきみ子の前記損害額合計の三五パーセントを減ずるのが相当と認められる。そうとすると、過失相殺後の損害額は六三六万二八〇〇円(円未満切捨)となる。

五  相続

請求原因6の事実は当事者間に争いがない。

従つて、原告らは各自一二七万二五六〇円の損害賠償請求権を有することになる。

六  損害の填補

被告が、本件事故による損害について、原告らに対し、四五一万八七七六円支払つたこと(抗弁2)は当事者間に争いがなく、これを各五分の一(九〇万三七五五円 円未満切捨)宛右五で説示した原告らの損害に充当すると原告らの残損害額は各三六万八八〇五円となる。

七  弁護士費用

原告らが本訴の提起追行を弁護士に委任していることは明らかであるから、事案の難易、請求額、認容額等を考慮すると、本件事故と相当因果関係を有するものとして請求しうべき弁護士費用の額は、原告ら各自四万円とするのが相当である。

八  結論

以上の次第であるから、原告らの本件請求は、原告らが被告に対し、各自金四〇万八八〇五円及び内金三六万八八〇五円に対する訴状送達の日の翌日である昭和六一年一二月六日から、内金四万円に対する本裁判確定の日の翌日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 深見玲子)

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